
こんにちは、しょーゆ(@jiyuwotsukuru)です。
私は、朝はいつも同じ時間に起きます。
まだ外は静かで、人の気配も少ない時間帯。モーニングページをA4の紙に3枚、30分ほどかけて書き続けることから、私の1日は始まります。特別に考えて書くわけではなく、その時に浮かんだことをただ淡々と。書き終わるころには、少し頭の中が整理され、気持ちが落ち着いているのを感じます。
歯を磨き、同じ服に着替え、スマホを持たずに散歩へ。
15分ほど歩いて戻ったら、洗濯物や食器の片付けを済ませます。好きなYouTubeを聞き流しながら家事をするのも、すっかり習慣になりました。
子どもたちを学校に送り出した後は、ストレッチや英語学習を少し。そこからアートワークやデザインの仕事に取りかかります。気になるアイディアはブログにまとめ、夜はジャーナリングで1日を振り返る。そんな流れが、自然と暮らしと働き方をつないでいます。
もくじ
この言葉に惹かれた理由
「暮らすように働く」という言葉に惹かれたのは、ある日突然というよりも、これまでの経験の積み重ねの結果でした。
地方のデザイン事務所からキャリアを始め、東京の有名事務所、地元の建築事務所のクリエイティブ部門、大企業のブランディング部門、副業や独立など……。事業規模も、雇用形態も、幅広く経験してきました。その中で、安定や成長のありがたさを感じる一方で、組織や社会の仕組みに生きづらさも感じてきました。
「どう働くかを整理することは、人生そのものに大きな影響を与える」
そう実感したからこそ、この言葉が頭に浮かぶようになったのだと思います。
暮らすように働く、私なりの定義
暮らすように働くとは、私にとって「無理なく丁寧に暮らし、その延長線上に働き方がある」ことです。
ただし、まだ理想の形には至っていません。
生活の延長から自分の商品が生まれる、そんな暮らしの発信が稼ぎにつながる、アイディアが形になり、人との出会いを生む――そんな循環をつくるには、まだ時間が必要です。
今の暮らしの中でも、自分に向き合ったり、内面を高めたりする部分は「暮らすように働く」の一部を体現していると思います。ただ、理想の形を問われれば、まだ「途上」だと答えるしかありません。
暮らしと働き方を支える土台
ありがたいことに、私たち夫婦は金融的な土台を少しずつ築くことができました。子どもが生まれることをきっかけにお金の勉強をし、生活水準を上げず、コツコツと資産運用に回してきました。借金もなく、共働きで、子どもたちも大きくなって手がかからなくなってきた。投資による資産形成も進み、日々の暮らしを維持する安心感があります。
この「生活の基盤」があるからこそ、暮らすように働くという選択肢を現実的に考えられるようになりました。
今は、無理にハードワークをせずとも、生活費や将来への備えに不安がない。だからこそ、働き方を「お金のため」だけでなく、「自分らしさのため」にデザインできる余白が生まれます。
加えて、社会的な背景も後押ししています。少子高齢化で働き手の価値が高まる中、多様な働き方が受け入れられやすくなってきました。今の時代は、資産形成を支える制度(NISAやiDeCoなど)も充実し、労働収入に依存しすぎなくても生きていける可能性が広がっています。
自己実現の延長にあるもの
私にとって「暮らすように働く」ことは、アートやデザインと深く結びついています。
日々のルーティーンや家族との時間を通じて感性を豊かにし、それが創作活動へとつながる。ブログやSNSで発信したり、作品を形にしたりすることで、自然と「働く」という営みにも結びついていく。そんな循環を理想としています。
特に、空間芸術やインスタレーションアートのように、五感で体験できる作品をいつかつくってみたいという夢もあります。それは単なる趣味ではなく、暮らしの延長にある「仕事」として挑戦してみたいことの一つです。
今はまだ途上にあるけれど
もちろん、現状は理想そのままではありません。
今はまだ、創作から直接的に収入を得ているわけではなく、生活の延長から商品やサービスが生まれる段階には至っていません。それでも、朝のルーティーンや日々の積み重ねを通じて、自分らしい働き方の「土台」を少しずつ築いている感覚があります。
暮らすように働く――それは完成された形ではなく、日々の実践の中で少しずつ近づいていくものだと感じています。
あなたにとっての「暮らすように働く」とは
暮らすように働く――これは私自身の整理のために書いた言葉ですが、きっと誰にとっても形が違うものだと思います。
私にとっては、朝の静かな習慣、家族との時間、創作活動の積み重ねがその土台になっています。
あなたにとっての「暮らすように働く」はどんな形でしょうか?
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